バルカン半島南部旅行記



◎10月5日 大分駅352発ドリームニチリンにて、博多、6:20到着、地下鉄にて福岡空港、7時集合、NH2142便755発にて成田空港へ、スーツケースは福岡空港にて成田、ウイーン、経由マケドニアのスコピエ空港まで流すように手続をして搭乗、成田到着後乗り継ぎの流れに従って、セキュリティーチェックを受け出国、搭乗ゲートにてツアー一行と合流、OS52便1055発の予定が機材の準備で遅れて1230離陸、ウイーンへ12時間のフライト、時差がー7時間のため1730着、約5時間の待ち時間なので添乗員の提案でいったん入国してウイーンのグラーベン通りを小雨の中散歩、シュテファン大聖堂、ペーター教会、ハプスグルグ王宮などを見た後、大聖堂の隣のアイーダにてカフェオレを飲み、地下鉄と空港専用鉄道CATで空港まで引き返し出国、OS775便22時:45発にてマケドニアのスコピエ空港へ深夜0:30到着、専用バスにてホテルへチェックイン、同行者と同室希望でしたが予定者がキャンセルのために添乗員と同室にしました。
◎10月6日 マケドニア共和国の首都スコピエを観光。 城塞の丘、カレーの要塞へ登り、ヴァルダル川をはさみ北は旧市街でムスリム、南はキリストちくと教徒と居住区が別れている街並みを一望。最も美しいイコノスタシス(聖障(せいしょう)のイコンで覆われた壁のある聖スパス教会、併設された博物館を見学、要塞の麓のトルコ風のバザール街を抜けてキャラバンサライ跡やダブトパシャのトルコ風呂などを見ながらヴァルダル川に架かる15世紀のオスマントルコ時代の石橋を渡り、マケドニア広場のマザーテレサの生誕地やその像の建つ記念館、大地震の跡の残る駅舎などを見たのちレストランで昼食。午後、生憎の濃霧のボドノ山(霧がなければ途中からスコピエの街が一望できる)の中腹の聖パンテレイモン修道院を見学、イコノスタシスは聖スパス教会のものと私の眼には同じようでしたが、マリアの悲嘆の表情を描く最初の「ピエタ」のフレスコ壁画がありました。下山後はフリーの街の散策の予定でしたが、添乗員の提案で、街の南西のボドノ山の裏のマトカ渓谷のダム湖の観光、希望者4名と添乗員は湖上クルーズを楽しみました。
◎10月7日 スコピエを専用バスにて紀元前3〜2世紀、のヘレニズム時代のトピの遺跡へ、発掘途中の遺跡を観光。その後マケドニア第二の都市ビトラへ、雨の中を市内観光。それから近郊にある紀元前二世紀から四世紀にかけて古代マケドニアのヘラクレア王国のフィボス二世によって築かれたローマ時代のイグナチア街道(トルコのイスタンブールとアルバニアのドユレスを結ぶ街道)の要衝の宿場町として栄えたヘラクレア遺跡見学。マケドニアとアルバニアの国境にある9世紀にブルガリア王ボリスによって宗教センターが置かれて以来、バルカン半島のスラブ人の聖地、世界最古の湖の一つオフリド湖畔、11世紀に西ブルガリア帝国の首都となったこともあるオフリドの街へ到着。
◎10月8日 午前中、オフリドを出発、27Km離れた湖岸沿いの丘の上に聖ナウム修道院が建っています。聖ナウムという僧は910年にその教会の中に埋葬された。狭い教会の中には、無数の壁画がある。その壁画の大部分は19世紀に作られ、隙間のなく教会の中の壁を覆う。オフリド市内に戻り、タクシーに分乗、湖畔の丘の上の サミュエル要塞 に登りオフリド湖とオフリドの街の眺望を楽しみ、そこから徒歩で スヴェーティ・クリメント聖堂 が破壊された跡に建設された マリア教会 を訪問、周囲を発掘していて人骨が沢山出土していました。教会の前にある イコン博物館 を見学。その後また坂を登り丘の中腹にある 聖バンテレイモン聖堂 へ、聖堂自体は再建されておりパンテレイモン自身は医師で聖大致命者廉施者と呼ばれ3500人の学生に授業をしていたそうでここも跡地を発掘中でしたが内部は見事なフレスコ画の壁画で13世紀末のものだが、その保存状態は非常によく往年の姿を想像できました。途中から坂を下りて丘の中腹を岬の先端に、オフリド湖をバックに建つ小さな 聖ヨヴァン・カネオ教会 内部には見事なイコンやフレスコ壁画がありましたが私の眼には今までの聖堂のものと同じようなものに見えました。教会の前に渡し船の船頭が待ち構えていて、市街まで船に乗るよう勧誘され、添乗員の配慮でそこの岩礁の間の狭いビーチから小型の渡し船で 聖ソフィア聖堂 のある付近のビーチまで乗船、聖堂の前のレストランで昼食、聖堂見学は生憎管理人が教会会議に出席していて帰りが遅いとのことで時間の関係で断念、外観や外部の発掘跡などを見たのち街中を散策、マーケットを見物後 国境を超えサッカーの国際試合が開催されるとのことで長蛇の車列、手続に結構手間取りやっと、アルバニアへ入国、国境の傍には多くのトーチカ、途中の車窓から見える標高2400mのトモッリ山の麓、何世紀もにわたり様々な宗教・文化を持つ人々が共存してきた平和の象徴のような千の窓を持つ街、ベラトへ夕方到着。
◎10月9日 午前中、ベラトの街の観光。オスム川に架かる17世紀から街の歴史を見守り続けてきたオスマントルコ時代の狭い混雑をする石橋 ゴリカ橋を渡り、写真撮影。街の中央の丘の上の ベラト城 13世紀に建てられてはいますが、その基礎は紀元前4世紀、アルバニア人の祖先であるイリリア人によって築かれてたものだそうです。永年にわたり使われてすり減ってつるつるになった石畳の坂を登り城門をくぐると今は場内に家が立ち並び沢山の市民が住んでいます。 要塞内にはかつて40の教会があったそうですが現存するのは、1797年に修復された聖マリア教会、第1次ブルガリア帝国時代の14世紀に改築された聖トリニティ教会(通称、石の教会)など、20ほどという。その中の聖マリア教会と隣接する16世紀のアルバニア人イコン画家の巨匠オヌフリやその息子、その他の多くの画家の優れた作品などを所蔵する イコン博物館 を観賞。その後頂上までは登りませんでしたが、途中の城塞の高台からオスム川の河原でのイベントの様子やエンベル・ホッジャ統治時代に山肌にホッジャの名前が書かれていたというマンガラ山を眺望、場内を散策して下山、アルバニアの南西部のフィエルの街の郊外にアドリア海を見下ろすローマ時代のアルバニア最大の、アポローニア遺跡を観光した後にアルバニア共和国の首都ティラナへ。
◎10月10日 早朝、観光前にホテルの前のスカンデルベク広場が工事中でしたがその周りを一人で散策、朝食後ティラナの市内観光。最初バスで社会主義時代には政府幹部関係の居住区で立入禁止地区だった通りを回り、マザーテレサ広場で降りてスカンデルベク広場までのパルチザン大通りをエンベル・ホッジャの墓や時計台のある欧州で唯一イスラム教徒が多数を占めるこの街ならでのエセムベイ・モスク、スカンデルベグ像をみて、国立博物館などを観光後アドリア海に面したアルバニア随一の港町デュレスへ。港の要塞の塔のすぐ前のレストランで昼食後、デュレス要塞の壁に沿って散策、発掘が遅くなったため民家が闘技場の中まで入り込んでいるローマ時代の円形闘技場を観光。15世紀にオスマントルコを撃退したアルバニアの国民的英雄スカンデルベクゆかりのクルヤ山麓へ。まずオスマントルコ時代の裕福な民家をそのまま展示した民俗博物館を見学後 クルヤ城(再現された城は博物館になっていて撮影禁止) を見学したのちに通路のバザールでアルベニア国旗の赤い帽子を買い、スカンデルベクの銅像で写真を撮り、途中イスラムのベクタシュ派の小さなモスクを発見、写真ストップ、そのままティラナへ引き返し連泊のホテルへ。
◎10月11日 早朝、フェリーの時間と途中の道路状況を配慮して5:00の出発、専用バスで弁当の朝食をとりながら急峻な山岳道路を下流のダムによる人造湖の縁を辿り北上、コマンダムの待機場所に9:00到着、コマン湖上のフェリーは11便で細い道とトンネルで湖の船着場までは下船の車と乗船の車とは一方通行で入れ替えに1時間かかりフェリーの出航は10:00、約2時間のクルーズでフィヨルドと見まがう渓谷美を楽しみましたが船上は冷たい風でまさに北欧、アッパーダムの手前の船着き場で下船、アルバニアの北部に広がるアルプス山麓の街バイラム・ツリへ200到着、自家製の食材を提供しているとのレストランで昼食、すぐそばのホテルにチェックイン、レセプションのないホテルは初めてでした。生憎の雨でしたので皆は街のスーパーに買い物に出かけましたが私は傘を持ってなかったので夕食までホテルで休みました。夕食は同じレストランでしたが添乗員のサービスでそうめんとナスの浅漬が添えられていました。
◎10月12日 朝食も昨日のレストランで済ませ、同じレストランの弁当を積み込みミニバスに乗り替えてアルバニア北部に広がるアルプス山麓のバルボナ渓谷を景観ドライブ。春の雪解けの時だけ広く流れる小石だらけだがいろいろな種類の広葉樹や針葉樹の林になっているところを考えると水流はあまり激しくないと想像できる広い河原を散策、帰りにトイレ休憩のために民家に立ち寄り生活ぶりなどを観察、暖かい自家製牛乳をご馳走になり、渓流の傍らでピクニックランチを採りバイラム・ツリへ。午後専用バスにて国境を超え、コソボ共和国へ入国、オスマントルコ時代の古都プリズレンへ。宿泊は街からかなり離れた山の中腹にあるスキー客用のリゾートホテルでした。
◎10月13日 古都プリズレンの旧市街を観光。まずは街のシンボルのカズィ・メフメツト・パシャモスク、12世紀のセルビア正教会の聖堂、聖母レヴィシャ修道院はコソボ紛争のため焼失貴重なフレスコ画は失われていましたが、再建中でした、オスマントルコ時代の石橋の上で記念撮影をし、ハマム跡など観光、途中貴重なフレスコ画の残る別の教会があるとの情報を得てそこを訪問、テロリストの攻撃を防ぐために臨時のポリスボックスを設置して警官が管理していましたが、教会の名前を聞きましたがムスリムで興味がなく知らないとのことでした。午後、セルビア正教会の男性のためのデチャニ修道院を観光後、モンテネグロ国境近くのペーヤ市内のホテルのレストランで昼食。中心部なのか駐車違反の取り締まりが厳しくバスの駐車違反で運転手は罰金を取られましたがセルビア正教会の女性のためのペーヤ総主教修道院、双方ともに世界遺産でテロの警戒でKFORKosovo Force, コソボ治安維持部隊)の厳重警戒で ビザンチン美術における現存最大のフレスコ画を見学、後、首都プリシュティナへ向かう途中、外国のバスのせいか他の車両と並行走行していたにも関わらずスピードガンの取り締まりに会いスピード違反で検挙され、外国人ドライバーのせいで免許証を押収されて付近の街の警察署で罰金を支払い取り締まり場所まで引き返すように指示されて約2時間の回り道で引き返してみると無責任にも取り締まりの警察官が移動して行方不明、もう1度警察署まで引き返して無線連絡でやっと免許証が戻り夜遅くプリシュティナのホテルに到着、レストランでの夕食の予定がホテルに変更されました。
◎10月14日 プリシュティナ旧市街の観光。アルバニアの英雄、スカンデルベグ像、ファティモスク、バザールなどを見学後、オスマントルコ帝国とセルビア王国が戦い、敗北、セルビアは最終的にオスマン帝国に併呑されるに至った、民族的悲劇として伝説化され、後世に語り継がれることとなったコソボの戦いの記念モニュメントを見て、セルビア人居住区域にあるセルビア王からの献納物として建てられたグラチャニツァ修道院では後期ビザンチン建築の傑作、フラスコ壁画を観賞、付近のレストランで昼食後、山中の谷にあるクロアチア系の住民の居住区にあるカトリックのレトニツァ教会(マザーテレサが神の啓示を受けたと伝えられる)を訪問。周囲には結構民家がありましたが良く見ると廃屋が多く、コソボ紛争時に難民として脱出、帰って来ずにほとんど廃屋状態でした。しかしバスストップをしませんでしたので詳細の廃屋の状態の撮影は出来ませんでした。住民の数は旧来の十分の一程度になったそうです。
◎10月15日 早朝4時起床、添乗員ホテルのランチボックスに加えてサービスしようとおにぎりを作っていました。プリシュティナ空港にてガイドのブランコさん、ドライバーのジャナさんと握手で別れ待ち時間中にランチボックスの朝食と添乗員の心ずくしのおにぎりを食べ、7:25発 OS770便にて1時間45分のフライトでウイーンに、乗り継ぎに少々時間がかかりましたが1355発のOS51便に乗り継ぎ、11時間10分のフライトで成田へ
◎10月16日 8:05 成田着、ここでツアー解散、私は成田発11:30NH2141便で福岡空港1330着、ソニック31号で大分駅16:34到着て無事旅行を終了しました。


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