マラケシュ(モロッコ)

マラケシュ 別名赤い街 建物が当地の赤い土の日干しレンガで建てられているために街全体が赤い、マラケシュの語源は、泥棒が多かったために
モラ(通る)ケシュ(速く)街というのでこう呼ばれたそうです。城壁は、メディナを取り囲み城壁の中が旧市街(メディナ)となり外側が新市街。
ベルベル人が60% アラブ人が40%、年間340〜350日が晴天で降雨量は少ないが緑が多い それは背後にそびえるアトラス山脈から60キロもの
水道管が地下に敷設されている。そのため水には事欠かないらしいが夏は45度になる。湿度は低いとのことだが暑いのにはほとほと閉口した。
11世紀アルモラディベ朝の首都となり、12世紀初頭ケッタマと呼ばれる水道網完成、大発展を遂げるが、この後、アルモハッド人により街は壊され
廃れるが、12世紀中ごろアルモハデ朝の首都になり栄光を取り戻しそた。しかし13世紀後半にマリーン朝がフェズに遷都して廃れるが後15世紀、
再びサアード朝の首都として復活、史上最高の繁栄を誇った。




ジャマ・エル・フナ広場 ジャマ・エル・フナとはアラビア語で「死人の集まり」という意味で、ここはかつて公開死刑場だったらしい

 

アトラス山脈の支脈の小高い丘にオリーブ林や樹木がまばらに生えているだけの荒涼たる風景が続きました

 

途中のアフメッド・ハンサニダム            マラケシュに近付くと赤い建物が多くなり風景が変わってきました  

 

最近出来た新しいものは西欧的なものが多いようです 郊外の団地の建物とガソリン・スタンド



夕刻、やっと緑のあるマラケシュの市内に到着しました

 

メディナの入口のアグノウ門 、赤と緑の砂岩を馬蹄状に配置,コーランの一節が刻まれてる  続いて門が

 

カスバの門 メディナの中にカスバがある                 カスバを抜けて       

   

サアード朝(1549〜1659年)の墳墓 バイア宮殿 外に部下達の棺 イスラム教徒はメッカの方向に並び異教徒は方向が異なる

  

宮殿墳墓は王や王妃の部屋などに分かれ詳細なアラビア文様で彩られ棺が納められている

   

墳墓宮殿を出てスークを抜けエル・バディ宮殿へ

     

宮殿までの途中の家々の扉に魔よけのメビウスの手の飾りが必ずある            エル・バディ宮殿入口   



エル・バディ宮殿からのマラケシュ市街



16世紀サード朝時代に建てられた宮殿。18世紀に破壊され、現在は一部が残っているだけで広大な廃虚となっている

 

エル・バディ宮殿には沢山のコウノトリが巣を架けていて、今はコウノトリの宮殿です

 

街の空には沢山のコウノトリが飛んでいましたが高すぎてうまく撮影出来ませんでした



バヒヤ宮殿の中庭  1894年から1900年にかけて建造された宮殿。豪華な装飾の大広間やレセプション(旧ハーレム)がある

    

宮殿は今はイスラムの」建築関係の博物館にもなっており、当時の豪華な天井やステンドグラスが沢山見られる

    

クトゥビアモスク 1192年ムワッヒド朝のアブー・ヤコブ・エル・マンスールによって建造されたミナレットはマラケシュで一番高く67m法律によりこれより高い建物は
禁止、建築当時近くに本屋街があったのでアラビア語で本の意味、キタブ・モスクと呼ばれていた四角で四面が全てデザインが違うミナレット、内部は6層からなり、
階段ではなくスロープになっている。頂上の球は銅製で一番大きいので直径2m、L型の金物はメッカの方向を指し示している。




昼間は民族楽団、大道芸人、などのパフォーマンスが繰り広げられ、夜には食べ物屋の屋台が軒を並べる。
ジャマ・エル・フナ広場の業態そのものが世界遺産として登録されているとのことでした

 

昼と夜ではまったく雰囲気が異なるのらしいが、夕刻に訪問したので両方の雰囲気が味わえました

 

民族衣装の水売りにカメラを向けると金を要求される                                    民族楽団             

 

大道芸の披露の人囲い                    ボクシング 観客が挑戦

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