スエズ運河

ナイルと紅海を結ぶ運河は紀元前2000年代にもあったらしい、1789年エジプト遠征中のナポレオンは古代の運河の跡を発見している。
エジプトは1805ごろから、近代化に着手、外交・軍事などでフランスに接近していた。フランスの領事レセップスは
運河会社を
設立し工事費用を負担、完成後は毎年運河の純利益の
15%をエジプトに支払い通航料はどの国も一律とするという条件で185812
資本金2億フランの国際スエズ運河会社を設立し
40万株が公募された。207160株をフランス人が、177642株をエジプト政府が
引き受けた。残りは他のヨーロッパの国々の人が買入れたが、イギリスはスエズ・アレクサンドリア間の鉄道建設しており運河計画に
激しく反対(1859年完成)、ギリスからは1株の申込みもなかった。レセップスは起工式にエジプトの労働者に「あなた方が運ぶのは
単なる土ではない。それはあなた方の家庭とエジプトに繁栄を運ぶものだ」と言った。1853年4月25日ポート・サイドで起工式、
ポート・スエズ両方からエジプト農民の強制労働により完成した。多いときには3万人が3ヶ月無給で朝の4時から夜10時まで働かされ
死者は12万人に達したと言われています。1969年3月14日地中海の潮が、5ヶ月遅れで8月15日紅海の潮がグレート・ビター湖に流入
長さ168Km、幅22m,深さ8mの水路が開通。近代化資金調達のためにエジプトは1875年運河株の一部を反対していた態度を一変
させたイギリス政府に売却、フランスは晋仏戦争の賠償の財政難から買えなかった。しかしエジプトの財政難にとっては焼け石に水。
以降イギリスとフランスは1956年のナセルの国有化宣言まで72年間暴利を貪ることとなった。




 

 

 

  



ポート・スエズ側の紅海の入り口で順番を待つ



 朝日を浴びて進入する貨物船

 

ポート・スエズの入口のモスク                            ポート・スエズの街

 

ポート・サイドからの道標



コンボイを組む船



客船には運河拡張の作業員が手を振る

 

大型船を越える高い送電線                                 横断のフェリー                     

 

     西岸の沃野                                   東岸の砂漠



グレート・ビター湖(中間地点)   離合する船を待機する南行船

   

湖上の離合

 

大型浚渫船                                  中東戦争の傷跡か?



運河国有化記念モニュメント



チムサ湖畔のイスマイリア



イスマイリアの対岸の砂漠の中に中東戦争勝利記念公園

  

中東戦争勝利記念碑とイスマイリアからの記念公園へ渡るフェリー

  

                イスマイリアの海水浴場                         イスマイリアからの交代パイロット



  

旋廻式道路鉄道共用鉄橋

  

運河は漁師の漁場                           ムバラク平和橋が見えてきました



アジアとアフリカを繋ぐムバラク平和橋(2001・10・9完成、鹿島架橋) 4車線 高さ70m 主柱の高さは154m 

  

ナイルの潅漑水路                                 ナイルの落日


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