ペトラ


ペトラはナバティア人が、紀元前6世紀頃アラビア半島から移り住んで紀元前3世紀ごろ造営したとされています。隊商貿易によって栄えペトラを中心としたナバティア王国を誕生させました。エジプト、ギリシャの影響を受けながら順調に発展し紀元前一世紀の初頭の数十年間はアラビアの北西地域一帯を支配しました。発展した理由は、イエメン(シバの女王の国)などの南アラブからシリア、エジプト、ローマなどに抜ける隊商路の要衝にあり、南アラビア半島の没薬と乳香は重要な貿易品目で人口も最盛期には2万5千人もいたそうです。ローマ帝国は紀元106年にペトラを占領、ローマ支配下でローマ劇場や列柱通りなどのローマ風の建物が建てられていきました。ぺトラの衰退は海路での貿易ルートが開かれたことが一番の要因でした。海上輸送はペトラの隊商路的価値を低めました。更にローマ帝国は独自の新しい隊商路をぺトラの東側に造りぺトラの衰退を早めることになりました。その時に造られたのがパルミラです。そうしてペトラは衰退の一途をたどることになります。7世紀にイスラム勢力が台頭してからは、ペトラは歴史から忘れ去られ、壊滅的な大地震が、ペトラの衰退を決定付けたようです。崩壊した街には、地元のアラビア人が細々と住むだけの場所になってしまいました。12世紀の十字軍時代に交易拠点として要塞が新たに築かれたと記録に残っています。13世紀にバイバルス(マムルーク朝の第5代スルタン,、マムルーク朝の国家体制を固めた事実上の創始者)がこの地を通過したときに、ベドウィンが暮らす小さな村になっていたとのことです。再び歴史上に登場するのは、1812年にスイスの探検家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルックハルトに発見されてからです。それまでぺトラとナバテア王国は歴史から消え、伝説化していました。六時間あまりの炎天下の徒歩観光で、疲労困憊しましたが感動的でした。



ワディームーサの街からは赤い砂岩の岩山が見えるだけこの山の中にペトラ遺跡があります





岩窟墳墓群

 

入場門                                   ワディームーサの街からの赤い砂岩の岩山                 



 緩い坂道を下ると遺跡に通ずるシクと呼ばれる狭い通路の入口になります

 

           途中のオベリスク墳墓                                      シク入口


   

途中の砂防壁                    礼拝所                  水道跡(シリカで防水された陶器製の水道管が敷設されていた)

  

    シク途中                  出口(エルカズネが見える)                              エルカズネから



エルカズネ(岩山を削って造った神殿 高さ40m) 王の墓所? 最近、下にもう一階埋まっていて人骨が発見されたしいが発掘はまだ続いている。







岩窟墳墓群



ローマ劇場(ナバティア人の祭壇を改装したもの)



 

列柱通(ローマ様式)

  

                ローマ神殿                              ライオンの墳墓       途中の参道から割れ目を見下ろす

 

頂上の修道院エドディル(ナバティア人の神殿を利用、麓から一時間程度参道を登る)

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