ヒヴァ(ウルゲンチ)

ヒヴァ汗国1512〜1920年ホラズム地方を支配。チンギス汗・ティムールの破壊から、ホラズム地方を復興させた。1512年シャイバニ家(チンギス汗の末裔であり
モンゴル継承国の一つ)の流れを汲むイルバハスが、ウズベク族を率いてに建国。首都・ウルゲンチ。16世紀初頭アム川の水位が下がり砂漠化したため、南部の
ヒヴァに遷都。17世紀ブハラ汗国やカザフ汗国と抗争。19世紀ロシアの南下政策で1873年ロシアによって攻略され1920年王政廃止しホラズム共和国に。1924年
ソビエト連邦のウズベク共和国に編入1991年ソビエト連邦から独立したウズベキスタン共和国の州に。「歴史博物館」とも「中央アジアの真珠」とも呼ばれている。
ちなみに、城壁の外部は「シジャン・カラ(外城)」という。昔はシジャン・カラも城壁に囲まれていた。シジャン・カラの城壁は現在はほとんど残っていない。ここは
ウズベキスタン中で世界遺産に最初に認定されブハラより3年早い。モスク(イスラム寺院)、メドレセ(イスラム教の宗教学校)、王宮、城塞を見ることができる。



イチャン・カラの衛星写真

  

ムハンマド・アミン汗のメドレセとミナレット・カリタ・ミナル(未完の塔)                      イチャン・カラの地図                
ムハンマド・アミン汗はブハラまで見通す110mの塔を建てたかったが1855年、イランへの遠征中に死亡工事は26mで終わった



クニヤ・アルク(古い砦)の暗くて狭いしかも1段が高い階段を登ると見晴台に出る。イチャン・カラが見渡せる



イチャン・カラの遺跡だけでなく、遠くの砂漠も見える。

  

                イチャン・カラ                                   馬車の轍の残る石畳の城内の道



ヒヴァの町、緑が多いがある一定の場所を境に砂漠が広がっている。イスラム・ホジャのミナレットから眺める



 メドレセ:イスラム教の神学校



パフラヴァン・マフムド廟とイスラム・ホジャのミナレット  ミナレットは6本あり礼拝の時間を伝えるためのアザーンや処刑台の役割が。砂漠を渡ってくるキャラバンの人たちが、道に迷わないように夜になると灯台の役割もあった

    

1段が高い階段                        イスラム・ホジャのミナレット                   

 イスラム・ホジャのミナレットは一番新しいミナレット、高さは57m、階段の段数は100段、1段が高い階段を上ると360度の展望

  

イスラム・ホジャのミナレットから眺める

  

モスク:イスラム寺院の門の装飾                        クニャ・アルク(古い砦)内の夏のモスク、

      

    冬の宮殿                  天井の装飾          壁のタイル              柱

クニヤ・アルク(古い砦)中にはヒワ汗の夏のモスク、冬の宮殿、 武器庫、兵舎、造幣局、などがある。



全て石膏で出来ている壁には龕(各地のモスクのミヒラブ(祭壇)の型、飾り穴)中央はコーランをほかは宝石等を入れた



金曜日のモスク(柱博物館)211本の柱 柱の形式は様々 9〜10世紀の各地のものを集めた 3500〜4000人が礼拝できる

  

     観光客用の駱駝                                           ロケ撮影中

  

イチャン・カラの城壁

    

ヒヴァの城内で木工の修行をする子供達             木彫りの仕事をする若者           絨毯を織る女性

    

夜の散策時のウルゲンチの公園のライトアップされた建物              記念碑              シシカバブの屋台   

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